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東京家庭裁判所 昭和47年(家)5741号 審判 1972年7月28日

申立人 笠間義男(仮名)

死因贈与者 中川やえ(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

一  本件申立の趣旨は、死因贈与者中川やえと申立人との間の昭和三八年五月二九日付の裁判上の和解に基づく死因贈与の執行者を選任する旨の審判を求めるというのである。

二  よつて審案するに、筆頭者中川やえの除籍謄本、墨田簡易裁判所昭和三八年(イ)第三五号和解調書正本、昭和四三年九月一六日付覚書と題する書面、同年五月二二日付領収書および申立人代理人、倉橋正子、柳瀬由江の各審問結果によると、次の各事実を認定することができる。

(一)  申立人と中川やえとの間において、昭和三八年五月二九日墨田簡易裁判所で次のとおりの裁判上の和解が成立したこと、

1  申立人と中川やえとは、別紙物件目録記載の土地(以下本件土地と略す)について昭和三三年一一月二五日付賃貸借契約を確認し、各契約条項を厳守すること、

2  中川やえは申立人に対し、別紙物件目録記載の建物(以下本件建物と略す)を中川やえ死亡の場合は金一〇万円で譲渡すること、右代金の支払方法は東京都○○区○○×丁目××番地居住の倉橋正子あるいは中川やえの指定する者に支払うこと。申立人は右代金の支払により当然本件建物の所有権を取得する。

3  申立人は中川やえに対し、本件土地の明渡しおよび返還を同人死亡まで猶予すること、

4  中川やえは現在本件土地建物を自己以外の第三者が占有していないことを確認し、かつ将来もその占有を第三者に移転しないこと、

5  中川やえは申立人に対し本件土地について明渡返還済に至るまで一ヶ月金五〇〇円の割合による使用損害金を支払うこと、

6  中川やえは、(1)使用損害金の支払を一年以上怠つたとき、(2)右4項に違反したとき、(3)第三者から仮差押、強制執行、競売の申立を受けたとき、または破産、和議の申立を受け、もしくは自ら申立をしたとき(4)本件土地上に申立人の書面による承諾なくして建物を増築、新築したときは、右3項所定の期限の利益を失い、直ちに本件土地を申立人に対し明渡し返還しなければならない。

ただし、この場合は本件建物の譲渡代金一〇万円は中川やえ又は倉橋正子に供託すれば足りる。

(二)  申立人は中川やえに対し、昭和四三年五月二二日前記(一)の2所定の金一〇万円を支払い、次のとおりの覚書を双方間で締結したこと、

1  中川やえは申立人に対し、中川やえ死亡の場合には申立人が何等の対価なしに当然に本件建物の所有権を取得することを認める。

2  中川やえが前記(一)の6に基づいて、申立人に対し本件土地を明渡す場合には、申立人において同項但書所定の本件建物の代金を供託することを要しない。

3  右1、2を除き、前記(一)の和解条項に変更のないことを確認する。

(三)  中川やえは昭和四七年四月二日死亡したこと、

三  しかして、右認定にかかる申立人と亡中川やえとの間の契約が果して申立人の主張するように死因贈与契約なのか、それとも期限付贈与契約なのかは問題である。前記二の(二)の1の何等の対価なしに中川やえ死亡時に申立人が本件建物の所有権を取得する旨の約定をみると、死亡贈与契約のようにみることができるが、また他方前記二の(一)の6ないし前記二の(二)の2にいわゆる期限利益喪失約款が約定されていること、および金一〇万円が本件建物の譲渡代金として当事者間で授受されていることをみると、本件建物の所有権移転の時期を中川やえの死亡時とした期限付贈与契約とみることもできる。

しかし、本件建物の時価に対する金一〇万円の割合を考慮すると、右金一〇万円の授受をもつて契約の履行(生前履行の可能性や負担の生前履行は契約の効力が契約時に既に発生していることを前提として成り立つものであろう)として強調することには躊躇を感ずるものがある。

四  ところで、民法五五四条は死因贈与について「遺贈二関スル規定ニ従フ」旨を定めている。これが「準用」の範囲については問題があるが、遺贈が単独行為であるのに対し死因贈与は契約であるから、遺贈の単独行為であることに基づく規定は契約たる死因贈与に準用すべきではないと解するのが相当である。しかして、遺言執行者の選任の規定が死因贈与に準用されるかどうかは必ずしも明確ではない。そこでこの点について判断する。

(一)  死後における財産処分の目的すなわち遺贈と同じ経済上の目的でなされる贈与契約としては、<1>贈与者の死亡を贈与契約(ないし贈与契約上の権利義務)の効力発生要件とするもの――これがいわば厳密な意味での死因贈与である――の他にも、<2>贈与者の死亡を所有権移転あるいは贈与債務の履行の期限とする期限付贈与契約――この場合契約の効力は生前に発生している――(以下単に期限付贈与契約と称す)が存する。

この両者は、法律構成上の差異はあるが、第一に遺言の撤回の自由からの防衛、第二に遺留分減殺請求からの防衛(この点は民法一〇三〇条ないし一〇三三条の解釈問題がからむが、この点は後述のとおりである)等の目的、動機において共通であり、かつ贈与者が自己の財産の減少を忍ぶのではなくて、相続人に帰属するはずの財産をそれに帰属させないだけのものであるというその性格においても共通である。しかも、具体的な契約においては、それがいずれに属するものであるかが判然としない場合も多く存すると考えられる。したがつて、期限付贈与契約についても民法五五四条を適用しうるかは一つの問題たりうるのであり、少くとも、本件のような問題を考える際には、期限付贈与契約についてもこれをどう取扱うべきかをも考慮しながら、民法五五四条の解釈を考えるべきである。

(二)  期限付贈与契約の場合は、遺贈とは異なり、契約の成立によつて、すなわち贈与者の生前において、

既に受贈者の権利は確定しており、ただその履行が残つているにすぎないことは明らかである。したがつて右期限が贈与者の死亡により到来した後の受贈者の地位は、未だ物件の引渡、登記等を終らないうちに相手方が死亡した場合の一般の契約上の権利者の地位と同じである。このことは死因贈与の受贈者についても同様に解すべきものと考える。死因贈与契約の場合、契約の成立により、既に受贈者の権利が発生しており、ただ履行を残すだけといいうるかは一個の問題ではあるが、死因贈与契約と期限付贈与契約の区別が具体的事案においてさほど明確ではないこと、および両者とも法的には契約であること等から考えると、この場合死因贈与における受贈者の地位を実質的にみて期限付贈与契約における受贈者の地位と同様にみていくのが適当と考えられるからである。

(三)  次に遺言執行者の選任を請求しうべき実質的利益が受贈者には遺贈における受遺者はどにはないことである。

遺贈にあつては、これが単独行為であるため、通常受遺者自身が遺贈のあつたことも知らず、また仮登記の方法もないため、結果として相続人あるいはその債権者らに対し保護されない場合が多い。この弊害を除くことが遺言執行者制度の目的でもある。ところが、死因贈与の受贈者は、既に契約内容を了知し、また財産的利益の承継についてなにがしかの期待を持つているわけであるから、遺贈とは相当趣を異にし、遺言執行者による利益保護の必要性は受遺者の場合に比べてかなり低いといえる。

(四)  また遺言執行者は、厳格な様式を要求される遺言に基づいてあるいはその内容を実現するために選任されるものであること、かつ、それが選任された後は相続人からは相続財産の管理、処分権が奪われ、

その後になされた相続人の処分行為は絶対無効とされる等の著しい効果をもつものであること、また、遺言執行者の存在は第三者にとつて必ずしも明確でないため取引の安全を害するおそれのある制度であること等を考慮するとき、遺言執行者の選任の請求をなしうる場合は、できるだけ限定すべきであるといえる。

(五)  したがつて、死因贈与の契約当事者である受贈者は、物件の引渡、移転登記の実現等につき、贈与者ないしその相続人を相手として自らその衝にあたるべきであり、相続人がない場合あるいは本件の如く相続人の一部が行方不明である場合等においては、それぞれ相続人不存在手続あるいは不在者の財産管理ないし失踪手続等を活用すべきであつて、遺言執行者の選任を請求することによつてそれにかえることはできないと解するのが相当である。

(ついでに付言するならば、死因贈与と遺言執行者制度の問題を以上の様に解したからと言つて、遺留分減殺に際して死因贈与を生前処分として取り扱うことが必然となるわけでは必ずしもない。前者の問題が、しばしば相続人の利益と相反する遺言の執行を任務とする遺言執行者の制度が受遺者の利益の保護を多かれ少なかれ目的としているところにその問題発生の原因があるのに対し、後者の遺留分減殺との関係は、被相続人の意思によつても害することができない遺留分権利者の権利を保護する制度との関係の問題であるから、契約であるか否かという点よりは、いかなる形で遺留分権利者を害するかという点の方がまず問題となるからである。

例えば、民法一〇三三条が「贈与」よりも「遺贈」を先に減殺すべきものとしたのも、遺贈が遺留分権利者を害すべき最後のもの――その遺言が何年前になされたものであろうと――であるという点において生前贈与と区別さるべきだと考えたからであり、この点で同条にいわゆる「贈与」が死因贈与をふくむと考えることは同条の規定の決定的な根拠を見失うことになろうし、また、実際的にも死因贈与を同条の「贈与」として取扱うことの不合理と不自然さは、遺言方式に違反した死後処分証書が存在し、しかも相手方が遺贈者に生前に承諾を与えた事実が存すれば、当該の遺贈は書面による死因贈与と解される余地があることを考えればきわめて著しいものであることがわかる。

したがつて、期限付贈与契約については期限利益喪失約款がついている場合の取扱い等問題がなお残るけれども、少くとも死因贈与契約については民法一〇三三条の適用においてこれを「贈与」として扱うことを必然とすべきではなく、前記遺言執行者の問題とは側面を異にする問題として、これを「遺贈」に準じて取扱う必要性があるといえるのである。)

五  本件契約を死因贈与契約とみるか期限付贈与契約とみるかについては前記認定どおり問題はあるけれども、しかし前記四の結論よりして、この場合いずれにしろ遺言執行者の選任を請求することができない場合であるから、本件申立は理由がなく却下すべきである。

(家事審判官 渡瀬勲)

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